お寺は家族より頼れる親戚代わり

浄土院を〝看とりステーション〟にしよう!


「今年は、息子夫婦が盆も正月も帰ってこない」

「施設に入所している伯母に、もう1年近く面会できずにいる」

 新型コロナの影響で、このように寂しい思いをされているかたも多いと思います。


家族の縁は希薄

 平成30年間で、3世代同居は4割から1割にまで激減しました。加えて、自営業(農業・漁業・個人商店など)の割合は過去30年間で42%も下がり、ほぼ半減しています(国勢調査より)。農業や漁業、商業にも大手資本が入り、親子で同じ仕事をしているのは、お寺と石材店と葬祭業者など、限られた業種になりました。

 親子が同居するのは就職前の10代まで。家族といえど、がんばっているのに気候変動や今回の新型コロナのような不可抗力の影響で業績不振になったときに、ともに納豆ご飯でしのいだりはしていません。

 会社で辛いことがあっても、年に数回の帰省のときに親世代に心の内を打ち明ける人は稀でしょう。背景がよくわからない親に相談しても、心配をかけてしまうだけで解決にはならないと考え、気遣うがために深い話ができない人も多いものです。


お寺を親戚代わりに

 ご夫妻のみの世帯は、いずれ独居になります。お子さんのない世帯も増えましたし、子があっても「出張が多いから、いざというとき飛んで来てはもらえない(昇進に響くのでは)」とお考えのかたも少なくないようです。

 たとえば具合が悪くなったとき、入院したとき、危篤と言われたときなどに、地域で親戚代わりとなってお互いが助け合える関係を築いてゆかなければならないと思います。私は葬祭カウンセラーとして、お寺に墓所があるかたは、その役割をお寺にお願いしてもよいのではと提案しています。

 とはいえ、ご住職も多忙ですから、親族のように毎日見舞いに来たりはできません。まずは日ごろから皆さんが趣味のサークルや、お寺の催しのあとの茶話会などに集い、横のつながりをつくっておきます。

 そして緊急時の連絡先として、入院中の病院や入所施設にお寺の電話番号を伝えておきます(自宅でも、冷蔵庫など目立つところにも貼っておきましょう)。これで、異変があったときや危篤と言われた際、お寺に連絡が来るようにできます。

 入院することになれば、日ごろからご本人と親しくしている信徒さんを中心に、いつもお寺に集うメンバーが交替で面会にゆけば、買い物や伝言の世話ができます。おたがいさまで、交代で複数人が話し相手になることで、特定の誰かに世話をかけているという心理的な負担も軽減されます。

 危篤のまま万が一というときは、あらかじめ生前契約しておいた葬儀社との連絡をご住職にお願いし、決めておいた墓所(納骨堂や永代供養墓)への納骨まで、「お寺さま+信徒仲間の皆さん」にお願いすることができます。


いわゆる〝終活〟とひと味違う

 以前のお寺は、職に就けない若者がいると聞けば檀信徒の有力者に頼んで職を世話してもらい、学校へ行かない子がいれば相談に乗り、町内や親族間の揉め事も仲裁するなど、「人生まるごとサポートステーション」として機能していました。高度経済成長とともに人々の所属が町から企業へ移り、檀信徒はちりぢりにドーナツ化してしまい、この機能は失われてゆきました。

 家族の縁が希薄になったいま、30年ほど遡って「お寺を中心としたコミュニティ」を再構成すべきときと思います。

 「頼れる親族がいない」

 「お墓は決めてあるが、遺骨を運んでくれる人がいない」

 まずは小さなことでも、ご住職にお時間をとっていただき、相談してみましょう。

 お寺へ集う仲間どうし、お金をかけずにできるサポートもあります(長期療養中に空き家となった家の風通しをするなど)。いっぽう資力があれば、「A通帳をお寺へ寄進する代わりに、お寺さまに士業者を探してもらい、相続手続きや相続税の申告など死後事務の全般をお任せする」という内容の公正証書遺言を作成しておくことなども考えられます。

いわゆる〝終活〟は、保険や葬儀の契約など個人的な事務処理が中心ですが、お寺で人生の先行きを考えることは、昔でいう〝隠居〟。病の仲間の世話をしたり、おたがいの悩みを吐露したりしながら、「生と死の意味を語らうこと」が中心となります。これまでの人生をふりかえり、「お浄土へいったらどんな生きかたをしよう?」と思いをめぐらせる、哲学的でゆったりとした豊かな時間でもあるのです。

 行政書士として遺言作成のお世話をしていると、億単位の財産をお持ちなのに、「寄付したい先もない。でも国庫へ持っていかれるのはゼッタイに嫌」というお声をよく耳にします。結果、遠縁の姪や甥に譲る内容の遺言をつくるのですが、「あいつはこの1年、肩を揉みにも来なかった」とささいな理由で別の人に譲ると書き直すことを繰り返すかたもいらっしゃいます。

 墓へは一銭も持ってゆかれないのに、そこまで蓄財するのに世話になった相手(寄付したい宛て)も思い浮かばないなんて、申し訳ないけれど寂しい人生でいらっしゃるなと感じてしまいます。

 たとえ数十万円であっても、「寺仲間のために使ってください」とお寺へ遺せたら、お浄土へ旅立ったあとも読経とともに偲んでもらえます。
同じお寺に墓もつ仲間は、お浄土でともに救われる仏弟子仲間です。血縁よりも濃い関係を、築くことができるのです。


※厚生労働省「平成30年国民生活基礎調査」(棒グラフあり)。



勝 桂子(すぐれ・けいこ)
ファイナンシャル・プランナー、行政書士、葬祭カウンセラー。『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(2017 啓文社書房)、『瞬間出家|聖よ、日本の闇をきりひらけ!』(2020 Amazon Kindle電子書籍)などの著者として、各地の僧侶研修、一般向け講座などに登壇。行政書士・FPとして、遺言、相続、改葬、家族信託、任意後見、死後事務委任、リタイアメント後のライフプランなど終活分野全般の相談に応じるほか、生きづらさと向きあう任意団体<ひとなみ>を主宰し、宗教者や医師、士業者、葬送分野の専門家と一般のかたをまじえた座談会を随時開催。